ハインリッヒ・ハンゼルマンにおける治療教育思想の研究 - スイス障害児教育の巨星の生涯とその思想

  • 2012.10.11 Thursday
  • 07:20
1930年代から50年代に掛けて、ドイツ語圏の治療教育(Heilpaedagogik)の理論と実践を主導したのは、スイス・チューリッヒ学派の創始者 H. ハンゼルマン(1885〜1960年)とその後継者 P. モアであった。

とくにハンゼルマンは、スイスに留まらず、ヨーロッパの障害児教育の実践・研究に多大な影響を与えてきた。

しかし、日本ではハンゼルマンの人物像や治療教育思想の形成過程やその特徴などについて詳細な研究がほとんどなされてこなかった。

冨永光昭大阪教育大学教授は、2010年、ハンゼルマンの治療教育思想を研究テーマにした学位論文を仕上げ、大阪市立大学で学位(文学博士)を取得した。

本書は、その学位論文の内容に加筆修正を加え、さらに補章「スイスの治療教育(学)の現状と課題」を追加して出版された、治療教育に関する専門書である。

専門書とはいえ、スイスにおける障害児(者)教育、治療教育の歴史と今日の到達点や課題を理解する上で、非常に分かりやすく整理された内容で、「治療教育」の視点でスイスという国を見つめ直す絶好の書となっている。

ハンゼルマンは、フランクフルト近郊のシュタインミューレ労働教育コロニー・観察施設」の施設長を経験した後、Pro Juventute 財団(チューリッヒ)から招聘され、1918年から5年間、本部長として児童保護事業の改善に取り組んできた。

1925年には、チューリッヒ近郊のアルビスブルーンに田園教育舎を創設し、障害児(者)の自立を保護・支援する活動の中心になった。

こうした児童保護事業活動や教育実践を通じて、ハンゼルマンは障害児(者)のための「生涯にわたる保護」の視点を確立していく。

ハンゼルマンは、その後、チューリッヒ大学治療教育セミナーの設立に尽力し、治療教育を学として確立し、治療教育教員養成に力を注いでいく。

これは、ジュネーヴのルソー研究所、フリブール大学治療教育研究所と並び、今日でもスイスでもっとも重要な治療教育機関のひとつとなっている。

ハンゼルマンは、「正常 ─ 異常」の人間の分類手段について、障害児に対する否定的価値を含む「異常」概念を明確に否定し、それに代わるものとして「発達抑制(Entwichlungs- hemmung)概念を提唱した。

さらに、1930年代、ヨーロッパの広範囲で障害児(者)の施設隔離・断種などの議論が展開され、とりわけ、ドイツではナチズムの台頭により、断種に留まらず、障害者に対しても大量抹殺処理が行われるという深刻な事態の中で、ハンゼルマンはこうした思潮に抗い、あくまで困難を抱える者に対する理解を深め、援助の手を差し伸べる立場を貫き、それが「スイス的なるもの」である、という信念を貫ぬき通した。

1939年には、自閉症研究で知られるアスペルガーとともに、国際治療教育学会第1回会議を主宰し、戦後には、国際的な障害児教育の復興に力を尽くしてきた。

本書では、ハンゼルマンの人物像や治療教育思想の形成過程と特色を丁寧に研究し、深めながら、一般者でも分かりやすく書かれた好著である。

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